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契約書がないまま着手した場合



Q ユーザから「御社にお願いすることにした」と言われたので,さっそく提案書に沿って要件定義作業に着手するとともに,契約書案を先方に渡しました。契約書についてのやり取りも行われたのですが,捺印には至っていません。すでに2カ月ほど作業して要件定義フェーズが終わろうとした頃にユーザより「取締役会で認められなかったので,作業を中止してください」と言われました。2カ月分の代金を請求できないでしょうか。
A 「契約書」が取り交わされていない場合でも契約の成立が認められる場合はあります。その場合,中止の要請は契約解除だと考えられますから,解除された側から損害賠償を請求できる場合があります。また,契約の成立は認められなくとも,契約交渉プロセスにおいて一方的に信義に反する行動をとったことによって契約を成立させなかった相手方に対して損害賠償を請求できる場合があります。損害賠償の可否及び額は,具体的な事実経過や作業内容によって異なります。


(a)契約の成立とは



上記の質問のように,担当者間では委託することが決まっていても,契約書の取り交わしまでには時間がかかり,その結果,事業の不振や社内の意思決定の関係で中止になってしまうということがあります。契約書の捺印が遅れたとしても,納期が変わるわけではないことから,捺印が終わるまで作業に着手しないとなると,ベンダ側のリスクも膨らんでしまいます。そのような事情から,このような問題がときどき起きています。

法律上は,契約の成立は書面の取り交わしを必要とするものではありません。しかしながら,システムの開発のように,金額が大きく,その内容も個別的な契約については,書面によって作業内容,報酬が確認された段階で契約が成立したとみるのが一般的です(下記名古屋地裁平成16年1月28日判決参照)。
業務用コンピューターソフトの作成やカスタマイズを目的とする請負契約は,業者とユーザ間の仕様確認等の交渉を経て,業者から仕様書及び見積書などが提示され,これをユーザが承認して発注することにより相互の債権債務の内容が確定したところで成立するに至るのが通常であると考えられる。


(b)契約が成立していると?



契約が成立した後の中止要請であれば,請負契約の場合,たとえ書面がなくとも,次のような規定に基づいて損害賠償を請求することができるといえます。

請負人が仕事を完成しない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる。(民法641条)


もっとも,上記のように契約書が取り交わされていない場合に契約の成立が認められにくいため,書面がないまま作業に着手することはリスクがあると言わざるを得ません。

(c)契約が成立していない場合の救済



たとえ契約が成立しているといえない場合でも,「契約締結上の過失」という論理によって,それまでに要した費用を損害賠償請求できるケースがあります。

「契約締結上の過失」とは,法律上の明文規定はありませんが,契約締結に至るまでの過程で,一方当事者の帰責原因によって,相手方に不測の損害が生じた場合において,帰責原因がある当事者は,相手方に対して損害を賠償するという理論をいいます。現実に,この理論に基づいて,損害賠償義務を認めた裁判例もあります。

ただし,あくまで,契約の交渉段階では,各当事者は,契約締結の自由(締結しない自由)がありますから,契約を締結しなかったからといって,当然に違法であるということにはならず,損害賠償が容易に認められるものではありません。契約締結上の過失に基づいて,プロジェクトの中止を言い渡したユーザの損害賠償を認めた事例(東京地裁平成24年4月16日判決)では,いったんベンダ選定を終えて,ベンダから正式発注を求めたにもかかわらず,繰り返し減額の要求をし,契約の成立に至らなかったという事情が重くみられました。

(d)書面取り交わし前に作業に着手する場合



それでは,契約書の取り交わし前に着手せざるを得ない場合,どのように対処すればよいでしょうか。後に契約書が取り交わされなかったような場合に「契約締結上の過失」が相手方に認められるよう,契約締結に向けた強い期待が生じていたという事情が認められるために,「内示書」など(書面のタイトルは問いません。)の書面を交付してもらうことが考えられます。

その書面には,「契約書の取り交わしに先立ち,●●の着手をお願いします」「●●の着手後,契約書が取り交わされなかった場合には,着手後に貴社に生じた費用を精算するものとします」といった事項を記載しておくことで,万が一の際のリスクの一部をヘッジすることができるでしょう。

(弁護士 伊藤雅浩 H25.3.31)